動機と背景、自分史作成支援事業を始めるにあたって

(1) くらしき女性大学

 私が、まだ会社員だったころ、
1996~1997年にかけて、倉敷市女性政策課(現・倉敷市人権政策部男女共同参画課)主催の
「くらしき女性大学」と題した連続講座(1年制、月2回、日曜日開講、同期生約30人)の第二期を受講しました。
1997年9月修了時、このまま魅力的な受講生の皆と離れ離れになるのは寂しいと、初代代表世話人として
ボランティアグループ・二期生有志の会(フラワーバスケット)の立ち上げを呼びかけ、
賛同してくれた有志メンバーと共に活動を始めました。
(2001年からは代表世話人は別の人にバトンタッチ、各自活動が広がったこともあり2004年以降は発展的卒業解散。
年1回程度、同窓交流会を開催。)

(2) 女性の生き方インタビュー集

 この会は、基本的には学習・情報交流の会で定期的に集まっていましたが、2000年を迎え、せっかくの記念の年
だからと、女性の生き方インタビュー集を作ることにしました。これは、 私が前々から取り組みたかった、
遠く都会の華やかなモデル女性でなく、「地元の素敵な先輩女性の話を聞きたい、さまざまな生き方のモデルを
知りたい、広く他の人にも知らせたい」という趣旨に基づくものです。
 いわゆる編集・出版に関しては、メンバー全員が素人でしたが、私の無謀な呼びかけに賛同してくれて、
原稿作成から製本まで、すべて手作りで、冷や汗・脂汗・労働の汗をいっぱい出して、2000年7月8日に小冊子を
完成させました。(何かと力量とエネルギーあるメンバーの協力で完成できたのだと思います。)

 名づけて、
「2000年 女性の生き方インタビュー集、ひたむき・おしゃれ心・プラス発想、今も輝く、あなたに似たひと」
(定価300円 B5版、60ページ、送料1冊210円。残念ながら現在は在庫切れです。)

 倉敷市内在住の、3人の素敵な先輩女性(60歳代・70歳代・80歳代)に、それぞれ約60分インタビューして話を
聞いて録音、それをテープ起こししてリライト(書き直し)、編集して小冊子にする、という運びでした。
私は、この企画を言い出した以上は、と、全体の統括管理やインタビュアー役を引き受けましたが、
リライト全般も担当しました。分担でテープ起こしをしてくれたメンバーから、テープ起こしされた何枚もの
手書き原稿を受け取ったとき、その圧倒的な文字量に、本当に驚きました。

 それでも、かなり手間はかかるだろうが、会話の中の余分な「えー」とか「あー」とかを取ればいいんだろう、
くらいの気持ちでしたから、実際に取り組んでみて、まさかこれほど、とは思いませんでした。
人の話し言葉を書き言葉に変えるのは本当に大変でした。時系列が入り混じり、話の筋がわからなくなったり、
不明瞭な指示語があったり。本論から外れた話もたくさんありました。インタビュー現場で聞いていた時は、
そんな脱線話も興味深いものでしたが、ページ数は際限なく増えるし、読者も混乱すると思われるので、
やむを得なくかなり削りました。何も知らないというのは恐ろしいことですね、でも知らないからこそ、
できたのかもしれません。

(3) 自分史/他人史

 このインタビュー集を作るにあたっての体験は、完成後、ご縁があり、ある自治体の講座の講師として
90分間お話させていただいたこともあるほどです。それくらい、今となっては笑えるけど、テープ起こしから
リライト、編集、印刷、製本段階で、いろいろ失敗もして、その時は真っ青というエピソードが、本当にたくさん
あったのです。これは、とんでもないことを始めてしまったな、と思いましたが、企画は既に走り始めています。
失敗も何とかカバーして気持ちを立て直しながら、メンバーで一致協力して、2000年3月のインタビュー開始
から約4カ月後やっと完成。ほっとしました。新聞社の取材も受けて大きく掲載されました。作り手にとっては
他人史だが、インタビューされた方々にとっては自分史、そうした総括をもらったり、その他各方面から
うれしい反響も数多くありました。

(4) ちっちゃな気持ちの種火

 実は、一番思いがけないことでしたが、大変な中にも(自分で言い始めたことなので、
苦労とはいえない苦労でしたが)、私、リライトするとき、とても楽しかったのです。時間を忘れて作業に没頭
しました。全く別の人の人生にぐいぐいと引き込まれ、大げさですが、その人の人生が私に乗り移ったかのような、
そんな錯覚まで覚えるような至福の時でした。単純に、これって楽しいと思ったというわけです。
そんな、「ちっちゃな気持ちの種火」のようなものだけを頼りに、自分史作成のお手伝いの仕事を始めました。

 1998年末に会社を辞めた時、いずれは何か自分で仕事を始めて、ゆくゆくは事業として育てていきたい、
ということはずっと考えていました。(でも、お恥ずかしい話ですが、99年に受講した、
ある「起業家育成セミナー」では、簡単な5W1Hのストーリーが全然
書けなかったのです。それはショックでした。誰がお客様で商品は何なのか具体的には何も思い描けていなかった。
まだ漠然としたものしか持っていませんでした。)

 元々事務系社員だったし、社内での様々な文章を作成したり、経営陣や上司の方針等を聞き書きから
原稿にして整えるという経験もよくあったので、いわゆる事務処理関連の書類作成代行というようなことも、
最初はちらりと考えてみたりはしていましたが、自分史作成支援の仕事の方が数倍興味深い、
正直本音をいえばオモシロイ、と思いました。

 お客様の生きた歴史である自分史や家族史をメインに、
お好みのままに文章作成して編集までお手伝いさせていただく、という自分史作成支援の事業イメージはここで、
できたのです。図書館で類似の仕事に関する本もたくさん当たってみました。私がイメージしていた
仕事を何年もしている女性のことを書いた本もあり、大いに心強い思いをした覚えもあります。

 以上が、よく聞かれる、「どうして、久本さんは、自分史作成支援の仕事をお始めになったのですか」
という質問に対しての答え、一番最初のきっかけ、動機と背景です。

後日談 ~~~~~ ~~~~~

 その後、実際に様々なお客様の自分史作成をお手伝いしてみて、「ちっちゃな気持ちの種火」は、今も健在です。
 お客様と共に泣き笑いながら、時間と空間を越えて、お客様の人生に丸ごとダイブする、この仕事の意義深さ、
素晴らしさ、厳しさを日々痛感しております。

 情緒面の寄り添いというウエットな面と、事務的効率的に作業を進めていくビジネスライクな面が、バランスよく
求められる仕事で、私には向いた仕事ではないか、と思っています。また、それまでお客様の胸に封じ込めた思いを
明文化するお手伝いを通して、お客様の、周囲の人とのよきコミュニケーションや今後のより豊かな人生にささやか
ながら貢献できるなら、こんな幸せなことはないということも思っております。

(最後までお読みいただき、ありがとうございました。)
久本 恵子

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